標本

「好きなんだよね」と私は言った。
「大好きだけど友達がいいんじゃないかなって思う。ごめん」と彼

体を重ねた恋人未満の関係で訪れた、温泉旅行。
朝日が差し込む露天風呂に、もう友達にも戻れない二人。

「最後にお願いがあるんだけど…」と切り出した。

「キスしたい」

私は自分の言葉に耐えきれず、反射的に顔を背けた。それを見て彼は笑って言った。

「恥ずかしい？」

背徳感が浮き彫りになり興奮が滲む。
次の瞬間、特別な領域に足を踏み入れる。
熱いお湯のせいで唇が冷たい。舌が触れ、指先に力が入る。
彼に右手を握られていたことに気づく。
今だけは、誰にも邪魔されない場所にいる。

「一生忘れられないな」彼がポツリと言った。
「忘れてよ」と私は笑った。

この瞬間を標本にしてそっと心の奥に沈めた。