満ち満ちる

その日、私が出会ったのは音の写真家を名乗る旅人だった。
旅人はここで海の写真を撮っているのに肝心の写真を１枚も持っていない。
「私が撮っているのは音だからね」
そう言って旅人は私に１枚のCDを手渡してきた。
カーステレオで再生してみると、それは目の前に広がる海の音だった。
目を閉じると瞼の裏に故郷の海が浮かび上がる。はっきりと見える。
「こういうのもあるよ」
別のCDには祭囃子が入っていた。
何故だろう？行った事のない土地の、見た事のない祭が瞼の裏に浮かび上がる。
「これが音の写真さ」
納得した。私は旅人からCDをいくつか貰うと、それを祖母が暮らす介護施設へと持って行った。
歳のせいか目がほとんど見えなくなった祖母。
その祖母にCDを聞かせると「見える…見えるわ…」と大粒の涙を流し始めた。
何だ何だと入居者達が集まってくる。皆で音の写真を聞く。
耳の遠い爺さんも「海が近い」と喜んでくれた。