鏡台

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 これが私のたった一つの嫁入り道具だよ――そう言って指差した鏡台の椅子に、母はいつも腰を下ろして、化粧をしながら逐電した夫の帰りを待っていた。それはまるで、失われた男の愛情を甦らせるための儀式か何かのようであった。
 幼い娘はそんな母の様子を、大きな黒い目でじっと見つめていた。年を追うごとに鏡に向かって悲しげに丸まる母の背中も、年々そんな母に似てくる自分の顔も、何もかもが気に入らないといった目付きで。
 ――そんな日々が十数年も続いたある日、母が死んだ。母の葬儀を終えた日の夜、大人になった娘は、母の形見の鏡台に向かい、自分の顔を矯めつ眇めつ見た。そして、鏡に写る自分の目が、鼻が、口が、若い頃の母に生き写しであることを認めると、ふっと諦念の溜息を吐いて、背後に立つ婚約者のほうを振り向いて言った。
「結婚したら、新居へこの鏡台を持って行ってもいい? 私のたった一つの嫁入り道具にするの」
その他
公開:24/11/11 20:46

小石( 首都圏 )

純愛ものを書きたいと夢見るお年頃
週一くらいで投稿したいです

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