エール

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 冷蔵庫の野菜室の奥から、クラフトビールの缶が出てきた。30年も前の教え子が、俺の定年退職の記念に贈ってくれたものだった。なんだか飲むのがもったいなくて、一缶を冷蔵庫の奥底に入れてしまって忘れていたのだ。

 彼女は母ひとり娘ひとりの家庭で、高校生の時、母親の再婚に反発し、遠くの大学に進学することにした。学費を出してもらうのも断って、奨学金を借りて大学に通うと宣言した。俺は母親の懸念をよそに、進路を決める三者懇談では彼女の決定にエールを送ったが、奨学金という名の学生ローンは、完済までに20年以上を費やしたそうだ。今では旦那と一人娘とで幸せな結婚生活を送っているという。

 プルタブを引いて缶を開け、30年前の思い出を呼び起こすビールをグラスに注ぐ。俺の人生、この先をどう過ごすかな。苦味の後に甘みが訪れ、そしてまた苦さがやってきた。あれ、この缶。ラガーでなくてエールだ。
その他
公開:23/11/01 16:48

こむぎの父( 愛知県 )

名古屋市で教員をしています。ショートショートって楽しいですね。

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