狂気の醸成

　電気の止まったアパートの台所で、男は包丁を研いでいた。
「…俺は何も悪いことなんかしちゃいない」
　男は自身の家族を思った…音信不通の母親…病死した父親…自殺した兄と妹…。

「…何もしていないのに、何もしていないのが罪なのか?」
　包丁を研ぐ…。

　男は自身の人生を思った。…いじめられていたこと…好きな人に好きな人がいたこと…小説家になりたくて、何度もコンテストに応募したこと…それらすべて、まるで路傍に転がる石のように無視され続けたこと…ある映画で自分の小説の題材が盗まれたこと…。
　
　包丁を研ぐ…。
「…皆殺しにしてやる」
　男はひとりぼっちだった。誰かから『愛している』と言われたことも、強く抱き締められたこともなかった。世界は暗く、現実は敵だった。

　包丁を研ぎ終えた時、男は何をすべきか理解していた。まるでそのために生まれてきたかのような、神からの啓示とすら思い…微笑んだ…。