久保田回漕店にて

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 夜十時を過ぎると終電がなくなるというので皆、帰ってしまった。窓辺の籐椅子に火照る身体を沈める。この火照りは送別会と、病の余韻だ。窓からの海風が心地よい。わたしは明朝、船で発つ。大阪から奈良を回って東京へ。戻れば家族や友人はいる。いるにはいるが、耐え難いのは今この時の寂寥である。
 さて、こんな時は何を飲めばよいだろう。
 ミルク? 薬臭い。コーヒー? 興ざめする。ワイン? 気取りすぎている。ラムネ? 甘すぎる。シャンパン? 気分じゃない。ブランデー? 吞み込まれそうだ。日本酒? 今は、寂しすぎる。
 賑わいの余韻の残る寂しさを静かに噛みしめ、鎮められるような……
 海面に白波が立つ。なるほど、ビールか。あの黄金色の苦みこそ、今のわたしには相応しい。
 今ここに、それがあればな。
 わたしは大きく身震いをして窓を閉め、床に入った。
                  明治二十八年十月十ハ日
その他
公開:23/10/15 20:14
ビール苦く葡萄酒渋し薔薇の花 正岡子規

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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