クラフトビールと苦味

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このクラフトビールを一口飲むたびに、華やかな香りとともに過去の苦い思い出がよみがえる。初めての失恋、落ち続けた大学受験、ミスばかりの新入社員時代、仕事を言い訳にして家庭との距離をおき続けた現役時代。そして、ひとりぼっちの老後。
苦味が喉をすり抜けるたびに、過去の記憶も通り過ぎていく。
残り少ない缶ビールを、ぼくは軽く振った。この部屋にはだれもいない。子供たちは独立して実家には寄り付かず、妻には先立たれている。
妻の小さな遺影だけが、この部屋の同居人だ。
手懐けた野良猫が、僕の膝に乗ってきた。気持ちよさそうに、膝の中で丸まっている。
「お前も飲むか?」
ビールを指につけて猫の口元に寄せる。猫は小さな舌で雫を舐めとると、表情をゆがめて膝から降りた。
誰でさえ、猫でさえ。嫌な思い出はある。嫌な思い出と人生はセットなのだ。ビールには苦みと香りがセットであるように。
ぼくは、新しい缶ビールを開けた。
その他
公開:23/10/18 16:20

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