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わたしがアイコ16才だと確信したのは、夏の朝、自転車で入道雲に向って走る額の汗がキラキラしたときだった。わたしはアイコ16才を生きているという実感。草刈をしているときも、信号機を拭き清めているときも、犬を追いかけているときも、軍手を揃えているときも、自分がアイコ16才だということを疑う余地はどこにもなかった。熱帯夜、寝返りを繰り返す寝室には潮の香りが漂っていたし、有精卵あります、と書き続ける午後は、やはり放課後の雰囲気が濃厚であり、高所作業車から見下ろす雨は、相合傘を叩き続けてばかりいた。
当然、わたしはアイコではない。なにしろ、わたしは五十才を過ぎた男なのだから。だが、わたしは常にアイコ16才なので、男というよりは、むしろ映画館といえるのかもしれない。
アイコ16才でなければわたしは存在しない。だが、わたしが存在しなくてもアイコ16才は青春映画の金字塔としてあり続ける。
永遠に。
当然、わたしはアイコではない。なにしろ、わたしは五十才を過ぎた男なのだから。だが、わたしは常にアイコ16才なので、男というよりは、むしろ映画館といえるのかもしれない。
アイコ16才でなければわたしは存在しない。だが、わたしが存在しなくてもアイコ16才は青春映画の金字塔としてあり続ける。
永遠に。
青春
公開:22/07/29 21:10
シリーズ「の男」
星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。
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