夏の線を弾く

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粉末のだしパックを鍋の水に浮かべて火にかける。次第に湯は蒸発しながらだしの濃度を高めていくが、私はケトルの水を少しずつ注ぎ入れて晩春の周波数を探った。換気扇を使ってはいけない。魂替えの作業はそんな命がけのチューニングにはじまる。
9時間が過ぎた。黒潮に泳いでいた鰹の削り粉が湯の中で踊り、その旨味と魂のすべてを放ちキッチンの空気を曇らせている。魂の濃度が臨界を超えると壁にかけた翁の能面や鹿首の剥製は宙に浮かびはじめ、クロコダイルの財布や牛革のジャケットが浮遊して、ダニの破裂がにんにくに原色の花を咲かせた。49日をむかえた父の遺骨が床の間の骨壺の中でタップを踏むような音を立てて蓋が開くと在りし日の骨格を再現しはじめる。
私は火を止めてざわわを歌い、部屋の窓を開放した。風に流れる甘い気配にさよならとようこそを告げると、庭で遊ぶ猫がその前足に付着した魂を懸命に舐めて、やがて夏の線をミャアと弾いた。
公開:22/04/20 15:47

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