筆時計

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珍しい物を仕入れたと、夫が持って来た懐中時計には、針も文字盤もありませんでした。
額縁の様な枠に収まった、真っ白な紙。驚いた事に、板でも硝子でもなく、直接紙がはめ込まれているのです。
「……これはどう使うのかしら?」
「筆時計だよ。文字盤と針は自分で書くんだ」
狐につままれた顔の私をよそに、夫はひとり満足げ。和紙は丈夫で長持ちするからねと、書初め用の硯を引っ張り出し、鼻歌まじりに墨を摩り始めました。

筆時計を掌に、白紙へ文字盤を書き込む手つきは、工具を執る職人の技そのもの。子供のおもちゃでしょうと、喉元に差し掛かった文句を飲み込み、私は一服のお茶を淹れに行きました。


――それから五十年。
まだ仄かに墨の香る筆時計は、今なお時を刻み続けています。
夫の鼓動に耳を傾ける心地で、懐の針の音を聞きつつ作業台から振り返る。
仏壇の遺影の中、今日も皴だらけの顔が、あの日の子供の眼で笑っています。
その他
公開:22/01/10 16:52
月の音色 月の文学館 テーマ:時計と記憶

創樹( 富山 )

創樹(もとき)と申します。
前職は花屋。現在は葬祭系の生花事業部に勤務の傍ら、物書き(もどき)をしております。
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第一回小鳥書房文学賞入賞。2022年6月アンソロジー出版

いつも本当に、ありがとうございます!

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