蟹がくる

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くしゃみをすると蟹がくるよ。
野々村さんに手渡された「蟹」という詩集にはそんな蟹にまつわる詩ばかりが詰まっていた。寸太郎さんに捧ぐ、とあるから僕のためにつくられた詩なのだろう。ひどく読みづらく生臭いのは蟹爪を使い蟹味噌で書かれているからで、僕は詩集を冷凍庫にしまった。
それは大晦日、暖簾を出してすぐのこと。いつものように番台に座りお客さんを迎える僕に野々村さんは唐突に言った。
「ひとめ見たときからあなたを傘下に収めたいと思ってたの」
粒の汗がとまらなかった。一度この銭湯に来ただけの野々村さんが自作の詩を僕に捧げ傘下におさめる。その意味を考えて昨夜は何度もトイレに立った。困ったときにくしゃみをすると地平線からたくさんの蟹が現れて僕のことを助けてくれる。そんな詩が今は悪夢に思える。
くしゅん。
外は雪が降っている。ざわざわと奇妙な気配が表通りに集結するのを感じて、僕はずっと暖簾を出せずにいる。
公開:22/01/08 11:29

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