背を洗うとき

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「心から大切だと思える人が現れたら背中をポン酢で洗うんだよ」
生イカのワンピースを着た男が軽トラの荷台にホースで湯を溜めながらそんな歌を口ずさんでいる。この辺りにはかつて陸軍のホスピスがあり少し濃いめのトリップエアーが今も充満している。臓物みたいな赤いホースはミミズだろうか。灰にまみれた羊が逆さに蠢く空の下を腹裂きの蛇道が岬まで続く。見渡す限りに広がる枯れ畑の草木が群衆の如く揺れて男が切り裂く羽毛布団が雪のように舞う。
私は幻覚作用のある錠剤を配達する仕事の途中で喉が渇き、男からポン酢を買った。男は刃物で生イカワンピのAラインにスリットを入れると私に深呼吸を強要した。私は徐々に男が恋人であるような気がしてきて、彼と荷台の湯に浸かり、周辺の藪からチンアナゴが出入りするイルミネーションを見た。
「藪から棒だね」
その言葉に私は醒めてポン酢を捨て、男の背をめんつゆで洗った。男が消えるまで何度も。
公開:21/12/28 07:53

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