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昔の汲み取り式便所は、貯留量が一杯になると業者が桶に取り牛車に積み込み肥溜めに運んだ。
戦後暫くは、各家庭はこの方式だ。
私が中学の昭和30年代は、便槽に貯まったし尿を生徒自身が桶に汲み取り、棒で担ぎ運動場の端の肥溜まで運ぶ。
揺れると自分にかかるから、吊るした紐がずれない様に手で抑えながら、ゆっくりと歩く。勿論一緒に担いだ二人の呼吸を合わせる。
化学肥料が普及するまで、し尿を溜め発酵させて作物栽培の肥料源として使った。
従い野菜を食べた人には、回虫が湧く危険性も高く、学校では定期的に検便が行なわれた。
でもお百姓は、金を払ったり、野菜と交換で汲み取りを請け負っていた。
通学路の横の畑には肥壺があり、遊んだりする生徒が落ちたが、珍しい事でもなかった。
その後公共下水道の整備も行われ、水洗トイレも普及した事で都市部や中規模の町では見かけることも少なくなり、地方の農山村地域に残るのみとなった。
戦後暫くは、各家庭はこの方式だ。
私が中学の昭和30年代は、便槽に貯まったし尿を生徒自身が桶に汲み取り、棒で担ぎ運動場の端の肥溜まで運ぶ。
揺れると自分にかかるから、吊るした紐がずれない様に手で抑えながら、ゆっくりと歩く。勿論一緒に担いだ二人の呼吸を合わせる。
化学肥料が普及するまで、し尿を溜め発酵させて作物栽培の肥料源として使った。
従い野菜を食べた人には、回虫が湧く危険性も高く、学校では定期的に検便が行なわれた。
でもお百姓は、金を払ったり、野菜と交換で汲み取りを請け負っていた。
通学路の横の畑には肥壺があり、遊んだりする生徒が落ちたが、珍しい事でもなかった。
その後公共下水道の整備も行われ、水洗トイレも普及した事で都市部や中規模の町では見かけることも少なくなり、地方の農山村地域に残るのみとなった。
青春
公開:21/12/21 21:32
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