畝にならぶ

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泥つきの立派な長ねぎが十本一束二百円。手筒花火のようなその長ねぎを背中のリュックに二束挿して、私は商店街の八百屋をあとにした。安すぎる。私は長ねぎの農家に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。長ねぎ農家にとっての長ねぎは豆腐屋にとっての豆腐と同じ。豆腐が十丁二百円なら私は嬉しいだろうか。悲しいに決まってる。大切なものが安く扱われるのはつらいこと。
夕暮れて一番町の交差点。赤信号青信号。また赤信号青信号。長ねぎのことばかり考えていたら信号の青が長ねぎの青だと気がついた。ビルの合間の解体現場の土くれには畑のような一本の畝があり、男の子がひとり長ねぎでいる。ビルの窓から顔を出す女の子が長ねぎの縦笛で吹くヘイジュードがせつなく響く。やがてマーチングバンドの老女たちが長ねぎを手に、つったかたーんつったんたーんとやってきては先頭から順に畝におさまった。
私も畝の末席に穴を掘り、連帯を示すためにこの身を沈めた。
公開:22/02/08 12:13

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