深呼吸の男

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 気分というのは言い得て妙です。
 気分というのは、体内のさまざまな物質の化学反応の結果で、それらは臭気を放ちます。気分とはこの体内の気体の成分のことですからね。
 空気を読め。というのも似ています。
 大勢が集まって呼吸していれば体内の気体成分が似通ってくるのは自明で、その気体の成分によって生じる気分も似てきます。その気分に従え、ということなのですからね。
 つまり、息を吐くという行為は、その人の今の気分を周囲にまき散らすということなのです。
 ところで、わたしには好きな人がいます。
 わたしはその人のことをもっと知りたいと願い、その人が今、どんな気分なのか、どんなことを考えているのかを自分のことのように感じたい、いっそ、その人になりたいと願っています。
 だから深呼吸するのです。
 わたしを排気してわたしを薄め、その人の息を吸ってわたしをその人で満たしたい。
 マスクが、恨めしいです。
その他
公開:21/05/16 21:28
シリーズ「の男」

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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