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自分の行動や判断によって人は生き、それはすべて最善ではないまでも納得のいくものとして行われる。だからそこには、自分の心に利益を得たことになる。利益を得ることは、その大小に関わらず幸福に繋がっている。突き詰めれば、人の行いはすべて自分の利益追求に行き着くはずだ。他人に施しをする、他人のために犠牲になることも、そうすることで「よいことをした」「善行を積んだ」など、自分の心の奥底で幸福を得られるからこそ行われる。
最も利益の小さい行動は「他者の言いなりになる」ことかもしれない。そこには、相手の言うとおりにしなければ自分を含めた誰かに不利益が生じるという理由があるのが一般的だ。言いなりになって得られる利益は、誰かの命が助かるとかいった理不尽なもので、平素、基本的には守られて当然と思っている事柄だ。
こんなことを晩年を迎えて気づき、わけ知り顔で誰かに語るのも、私の幸福のはけ口のひとつである。
最も利益の小さい行動は「他者の言いなりになる」ことかもしれない。そこには、相手の言うとおりにしなければ自分を含めた誰かに不利益が生じるという理由があるのが一般的だ。言いなりになって得られる利益は、誰かの命が助かるとかいった理不尽なもので、平素、基本的には守られて当然と思っている事柄だ。
こんなことを晩年を迎えて気づき、わけ知り顔で誰かに語るのも、私の幸福のはけ口のひとつである。
その他
公開:21/05/16 10:39
#短編小説
#幸福論
読んでいただきありがとうございます。(・ω・)/
ここに投稿する以外にも、自分のブログに同時掲載しているときがあります。
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