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その大きな中央図書館には、なぜか彼一人だった。ど真ん中の席についた彼は、ポケットから古びた文庫本をとりだし、その黄ばんだ本の頁をパラパラとめくりだした。そして、挟まれていた栞のところで手を止めた。すると一匹の蚤がそこから這い出てきた。彼がその本を読み始めると、やがてその蚤は彼の肩に飛び乗った。

静かに時は流れた。彼はゆっくりと頁をめくっている。蚤は肩から首筋へ移動した。彼の頭が上下に段々と揺れ出した。と、ぱたんと本を閉じ机に突っ伏した。蚤は彼の背に這い入った。蚤は動きの止まった彼の背中じゅうを徘徊した。

一時間後、見回りの警備員が居眠り中の彼に声をかけた。彼は動かなかった。数分後、救急車のサイレン音が、静まり返っていた館内に届いた。彼は救急車に乗せられた。彼の背には腹を真赤に染めたあの蚤が依然としてそこにいた。彼がいた机の上には、文庫本だけが残された。
それは、横光利一の「蝿」だった。
ホラー
公開:21/05/03 05:55
更新:21/05/02 20:41

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