模範的な溶接線

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薄暗い足場を踏み俺は鋼板の壁に向かう。溶接器具を背負い溶接棒とアーク棒を手に持って。師匠から溶接を叩き込まれたのはずいぶん昔のことだ。見えない敵を探すのが溶接のコツだと。つなぎ合わせる鋼板をよく見ろ。うねったり窪んだりする板に目を近づけるとまるで草原だ。鋼板の地平のなかに敵の場所を感じ取れ。敵が潜む七、八点を素早く溶接する。素早いのが腕。師匠の溶接線はいつも模範的だった。
俺がいま鋼板に向かっているのは巨大なヴィーナス像の内側だ。組み立て後の溶接不良。不具合を見つけては溶接する。豊かな窪みはヴィーナスの胸のあたりだろう。溶接しながら下へ向かう。緩やかな腰の曲面に溶接線を打つ。そこから下はヴィーナスの感じやすいところ。俺は師匠の言葉を思い出した。目の前の鋼板は草原だと思え、そして草原に敵を探す。探すうちにうっかり溶接棒のかけらを落としてしまった。からんからんと空洞をかけらが落ちていった。
その他
公開:21/04/26 14:29

たちばな( 東京 )

2020年2月24日から参加しています。
タイトル画像では自作のペインティング、ドローイング、コラージュなどをみていただいています。
よろしくお願いします。

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