続・ギプスの男

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 あの、肘の角度と上下のバランス!
 坂道を海へ転げるように駆けながら、僕は興奮していた。初対面の人の石膏ギプスに、いきなり「売約済」と書き入れる。そんな落花狼藉に及ぶつもりなどなかった。僕は紳士として、不自由な彼女のハンドバッグを預り、手を携えてあの坂道を上った。すると、岬の反対側へ傾きかけた初夏の日差しが生乾きの石膏ギプスを照らして、僕は次第に硬く締まっていく様子を、間近に見た。聞いた。嗅いだ。まさにその陽の当たる坂道は化楽天への道だった。
 途上、連隊長とすれ違いさえしなければ、僕はそのままギプスについていっただろう。そして、あのギプスが眠るベッドの所在を知ってしまったとしたら、僕はもう、毎夜その窓下に通い詰め、しどけない女性が抱えて眠る石膏ギプスを、はらはらしながら見つめていただろう。だがそれは犯罪者の行為だ。
 ああ。
 接骨醫院の医師はあのギプスをいくらで譲ってくれるだろうか。
その他
公開:21/07/24 18:48
シリーズ「の男」

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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