仔羊の南蛮漬け

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私が80才のころ、通っていた夜間中学がマントヒヒの繁殖地となり、私は学校を辞めて家で南蛮漬けばかりを作るようになった。
夕立の激しい雨がやんで、上空の雲の狭間にむっちゃ笑顔のおじさんがひとり、流れる雲が前髪やヒゲをかたちつくっては過ぎてゆく、そんな日を思い出す。
最初は楽しかったけれど浮かぶおじさんには顔しかなく、笑顔のまま舌打ちするのが恐ろしくて私は空を見るのをやめた。
目を閉じてもおじさんの残像と舌打ちが聞こえて、台所の窓から射しこむおじさんが南蛮漬けの味を変えてしまう、そんな不安に襲われて私は窓もカーテンも閉じた。
あれから60年。我が家には500才以上の先祖がごろごろ暮らしているけれど、あのおじさんが何者なのかは誰も教えてくれない。
私は今日も階段や床下に置いた南蛮漬けにパセリを振ってまわる。
おじさんは今も空に浮かんでいるのかな。雨がやんだら窓を開けて空を見上げてみようと思った。
公開:21/07/13 16:27
更新:21/07/13 16:35

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