Paradiso

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私はいつもコースターをめくる。
レストランで。喫茶店で。
コースターの下には未知の世界がある。そんなふうに思うから。
庭石をめくる。座布団をめくる。玄関マットをめくる。私は妻のかさぶたさえめくった。
女のひとは海だから、傷口から血が出るように水が流れて瞬く間に寝室は水没した。高台の箪笥に避難してしぼんだ妻を水面に浮かべると、みるみる海を吸い取って、妻と寝室は元通りになった。
めくんないの。
妻は箪笥に残る私を叱り、それからコーヒーを淹れてくれた。深煎りのブラジル。バームクーヘンを剥がして食べる妻の指先を見つめながら、私は目の前のコースターをめくる。
すると伏していた一頭のカモシカが立ち上がり、モノクロームの茫漠としたテーブルの地平に駆け出して、不意に脚をとめてはその静寂に佇み無残なバームクーヘンを見つめた。
10年か。
妻に似たカモシカが呟くと、彩りがドミノのように世界を蘇らせていった。
公開:21/03/07 17:53

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