ゆるしてほしい

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私は今、墨島に立つ。
和歌山県串本町潮岬の最南端クレ崎から南に20キロ。墨島は春の終わりに現れる。
この島はかつて硯島と呼ばれていた文学的まぼろし。古来の文献には妻を裏切った夫が断罪される場として記されているが、私は今が現実なのか自信がない。
海面に美しく黒光りする漆盆のような丸い岩盤。墨汁みたいな地下水が微細な泡と湧いて、それが島の周囲だけを結界のように白く染める。波が押し寄せてもその結界は広がることも狭まることもなく、確かな幽玄の黒白としてある。
その昔、この島で行われていた仮面劇とよく似た踊りが、今もソロモン諸島に残っている。私は妻に謝罪するためその踊りを学び、本日ここに奉納する。
上陸した私はたちまち足を取られて墨と固まり、天から伸びた手が、私を硯の岩に擦りはじめた。
その手は妻だ。溶けゆく私の甘い黒がむきだしのバニラとなった島を包む。
私は妻のピノを食べた。禁断の4個目を食べた。
公開:21/04/20 14:30

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