虚空に立つ

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鬱病になっていた頃の記憶はあまりなく、いくつか嫌なことや失敗したことばかり覚えている。
毎朝のように起き抜けに泣き、それが分からぬよう何度も顔を洗ってから仕事に向かった。通勤で乗っていた地下鉄は、鉱山に送られるトロッコに思えた。金属の嫌な音が地下で幾重にも重なり、今も耳の中で反響する。

一人で山に行った。誰もいない山に。
レンタカーを借りて北に向かった。そこには誰もおらず、ただ景色があるだけだった。
遠くに夕日が沈む。太陽が顔を真っ赤にしながら僕から逃げていく。
全くの無音。異世界。あまりの音の無さに胸がきゅっと締めつけられる。
澄んだ空気の中に僕という異物が入ってしまって申し訳なくなる。

眼下の街に明かりが灯りはじめた。
戻ろう。戻らなきゃ…。
十分体の中の空気が入れ替わっただろうか。
ピピッ、ガチャッ、ブォン。
もう冷たくなったコーヒーを口に含み、アクセルに足をかけた。
その他
公開:21/01/03 21:00

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