美しい手

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夫はピアニストだった、と過去形で語るのは寂しいことだ。
夫の手は美しかった。まるで、それだけが別の生物のようで、魔法使いに操られているようで、このうえない芸術品のようだった。私は、彼の指先に恋をしたと言ってもいいぐらいだ。
夫の手を消してはならない。夫が死んだあとも永遠に保存しなければならない。
だから、私は夫の手を切り落とすことにした。義手と手袋で隠してしまえば、葬式のときにわざわざ確かめるひとはない。焼骨さえ終われば、夫の手は、私だけの宝物になる。
私は自分の決断に後悔はしていない。
ただひとつの間違いと言えば、少しタイミングが早すぎたことぐらいだろうか。

「ねえ、あなた」

私が声をかけると。仕事と生きがいを同時に失った初老の男性が、ナマケモノのようにゆっくりと振り返った。
ホラー
公開:20/10/16 20:35

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