渋沢荘201

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通報により訪問したアパートの一室で、私は住人の男にさすまたで抑えられてしまった。
警察官とはいえ無断で足を踏み入れたのは私だし、叫ぶのは気がひけたけれど、いよいよ苦しくなって声を絞り出した。
「伝令にございます」
すると奥の襖がすーっとひらいて、乱れ髪の老女が、たらいのうどんを踏みながら蛇のように私を見た。
「何事ぞ」
男はさすまたの手を緩めない。私を恐れていないのは眼を見れば明らかだし、なおも締めつける感じは敵意にあふれている。それは主人を守る従者のように。
部屋の畳はささくれて、黄ばんだ障子は破れている。男はこの部屋でマスクを縫う内職をしているようだ。ほかに家財道具はなく、暮らしぶりは貧しい。
私は役所に頼まれた言葉を伝える。
「侍に給付金は出ません」
「なんと」
「では姫はどうなる」
男の眼は血走り、脇差が抜かれた。
この老婆が姫なのか。
私は奥深い世界の淵に立つ悦びにふるえていた。
公開:20/10/08 12:44

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