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1905年5月27日、日本海海戦の最中(さなか)、二等巡洋艦「秋津洲」(あきつしま)は突如として霧に見舞われた。

霧が晴れると、それまで高かった波も落ち着き、晴れ間さえ見えていた。艦長の広瀬勝比古大佐は、前年3月に旅順港攻撃で戦死し日本初の軍神となった広瀬武夫の兄である。

場所は対馬近海であることはすぐに判明したが、様子がおかしい。先程までバルチック艦隊と戦っていた僚艦からの無線も入らない。その姿が一切見えないのである。通信を試みるがまったく返信が無い。

その時、見張り員が「多数の帆船を発見!」と報告してきた。

「なぜ、こんなところに帆船の船団が?」と訝(いぶか)しむ広瀬であったが、にわかに信じられないものを観た気になった。あれは対馬を襲うモンゴルと高麗の船団ではないか? すると今、自分は13世紀にいるのか?

悩んだ末、広瀬は決断する。

「“敵”を撃破せよ!」
SF
公開:20/10/08 19:28
385 秋津洲は日本をあらわす名称 オオカミの自信作

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