悪事ひとつ

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人形作家M氏は売れっ子の大家でファンも多い。凜とした艶っぽい女性像に人気があり、すべての人形の首すじには髪の毛が数本ほつれている。理由を聞かれても氏は笑って答えないが、氏の作品のトレードマークである。

数十年前、駆け出しのM氏が所用で都心に出かけた帰りのこと。ラッシュアワーの満員電車に慣れないM氏は人混みに挟まれて、腕が動かせないまま手のひらが女性の臀部に触れてしまった。女性はぴくりとしたが、一言も発しない。腕を抜こうとする一方でM氏の手のひらは豊かな肉感を見逃さなかった。揺られながら手のひらが女性の熟した弾性を吸い取るように感受するのをM氏は確信した。電車が駅に着いて人の波とともに腕は抜けて女性はドアから出て行った。首すじに髪の毛が数本ほつれた後ろ姿は雑踏に消えた。M氏は一つの悪事がからだを通り抜ける気がした。
その頃からであった。M氏の創る人形に不思議な艶っぽさが宿ったのは。
その他
公開:20/10/05 17:58

たちばな( 東京 )

2020年2月24日から参加しています。
タイトル画像では自作のペインティング、ドローイング、コラージュなどをみていただいています。
よろしくお願いします。

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