言葉について

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辞書には膨大な数の言葉が載っているのに、どうしていつも言葉にできない感情が湧き起こるのだろう?
そしてそれはなぜ誰も言葉にできないのだろう。

同じ言葉でも「悲しい」と「かなしい」は違う感情を含んでいる気がする。

声に出してみたときの音のニュアンス、紙に書いてみたときのニュアンス、しかもそのふたつの間には無数の違う感情が含まれている。

日本語だけでもそうなのだ。違う国の言葉も加わればそれはもう言葉の意味は膨大だ。

人生に答えなど無い。
この先にいくつもの別れ道があるのかもわからない。
それなのに人はひとつの答えだけを重視する。しかも、それを言葉にせよという。

なぜだ? なぜだ?

いま僕は白い紙を前にそんな事を考えている。
この悩みはいま最大の重要事項だ。

「はい。鉛筆置いて! 後ろの席から回収します」

白紙のままの答案など今の僕には些末な事だ。
その他
公開:20/09/29 15:55

さとうつばめ( 東京 )

東京生まれ。
読書するジャンルは時代もの多め。ふふ。

*プロフィールお堅いので変えました。
書くの面白くて連投しましたが、長く続けるためにゆるゆるやっていこうかな。

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