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「奄美と出会わなかったら人生が変わっていただろう」。私は自信を持って言い切ることが出来る。私の左手薬指に嵌る指輪の裏を見ると、“1974.5.26 K to I”と印字されている。
1973年、人生の目標を見失い鹿児島県の奄美大島を旅した。島の自然に魅了されて、この島を離れ難く、喫茶店で働きながら島に残ることにした。
街を歩くと路地から聞こえる、島の女達の、紬を織る「ガタン・ガタンガタン」というリズミカルな音色が私の心に響いた。
ある日、台風で船が欠航し足止めされた宿泊客を連れ、大島紬を織る技術者を訪ねることに。技術者の家で訪問を告げると、南沙織似の女性が私を紬の機の前に案内した。この時、私は「この女性と結婚するとビビット来た」。妻も同じように思ったと結婚後に聞かされた。出逢って9ヶ月後に結婚し私は23歳で妻は24歳だった。奄美大島と台風、紬が無いと妻と出逢わなかった縁だった。
1973年、人生の目標を見失い鹿児島県の奄美大島を旅した。島の自然に魅了されて、この島を離れ難く、喫茶店で働きながら島に残ることにした。
街を歩くと路地から聞こえる、島の女達の、紬を織る「ガタン・ガタンガタン」というリズミカルな音色が私の心に響いた。
ある日、台風で船が欠航し足止めされた宿泊客を連れ、大島紬を織る技術者を訪ねることに。技術者の家で訪問を告げると、南沙織似の女性が私を紬の機の前に案内した。この時、私は「この女性と結婚するとビビット来た」。妻も同じように思ったと結婚後に聞かされた。出逢って9ヶ月後に結婚し私は23歳で妻は24歳だった。奄美大島と台風、紬が無いと妻と出逢わなかった縁だった。
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公開:20/11/21 15:23
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