峡谷の響き

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ずっとマスクをしているせいか咽喉がいがらっぽい。だがここで咳をするのは憚られる。夕陽が窓から差し込む病室。私を医者だと思い込んだ父は訴える。
「脳には谷があるんです。誰も気づかない谷があるんです。脳には橋があるでしょう?谷があるから橋なのに。あの橋の下に小さな谷があるんです。生まれたときには小さなあの窪みが、ストレスを受けるたびに深く深く抉れていくんです。鋭い刃のように深く深く。そのうち下へ突き抜けて咽喉に向かうんです。谷の切先が声帯に触れるとき人の耳では聴き取れない高い高い音が響くんです。俗に峡谷の響きというあれが。私の谷はもうすぐ届きます。どうにかしてください、先生…」
私はかすれた声であやすようになだめる。父が腕に縋りつく。
「本当ですか。本当に大丈夫ですか」
薬が効いてきたのか掴む力が抜けていく。私は唾を飲み込んで、少しだけマスクをずらして息をはく。突然、窓ガラスがピシリと鳴った。
ホラー
公開:20/11/16 20:30

工房ナカムラ( ちほう )

ボケ防止にショートショートを作ります

第二回 「尾道てのひら怪談」で大賞と佳作いただきました。嬉!驚!という感じです。
よければサイトに公開されたので読んでやってください。

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