人魚の涙は海となる

還りたい。
開け放たれた窓から香る潮風に彼女の瞳はほろほろと真珠のような涙を生んだ。伝説の人魚姫のように美しい尾を二本の足に変えて陸で生きた彼女は、近づく人生の終わりに懐かしい海に戻りたがっているのだろう。
彼女の瞳と同じコーラルブルーの世界、宝石のような魚たちが暮らす海の楽園。だが彼は知っていた。海に群生する珊瑚のコロニーは激変する環境の中でまず生きることを優先し生殖活動を止め、それでも自らの命を繋ぐ事が叶わず次々と白化した。そうして珊瑚を中心としていたコロニーは崩壊し、海は今や命を育む場所ではない。
変えたのは陸に生きる彼ら。彼女から尾を奪い、還る場所を奪った。
――共に行こうか、海へ。
真っ白な珊瑚は海の墓標。刻まれる名は海に生きた命と、もうじき滅びる我々。
水中でもないのに息が苦しいのは、罪悪感のせいばかりでもないのだろう。
彼女から奪った海が、すぐそこまで迫っていた。