オセロ盤の歪み

4
5

現役生活に別れを告げた午後、記者会見を済ませた私はその足でお世話になった人のもとへと急いだ。ただそれが誰なのかを思い出せない。
オセロ盤のような空は黒が優勢で、白が消えればそれがつまり夜なのだと思いながら歩いていると、会見で話したことや、私が何の選手であったのかも白と共に消えた。
憶えているのは我が家。そのカカオのようなにおいだけ。
私はすべてを忘れながら、犬のようににおいを嗅いで歩いた。
土手を下りると道端に、ほんの少し歪んでいる四角が落ちていた。その四角が何かはわからない。私はその歪んだ四角を妻に見せたいと思うのに、私に妻がいる確信はない。発作的にサラミを食べたいと願う、その意味もわからない。
私は電柱に片足を上げて放尿した。
自分は犬かもしれないけれど、排便のあとに、後ろ足で土を蹴るまでは断定できないとも思う。
漆黒のオセロ盤を歩く誰かの足音が懐かしく聴こえて、それもやがて消えた。
公開:20/11/04 14:26

コメント投稿フォーム

違反報告連絡フォーム


お名前

違反の内容