ゆかり温泉

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生きることに歩き疲れ、それでも前に行こうと重い足取りで、僕は街を歩いた。
立ち止まると『ゆかり温泉』という銭湯の前にいた。
導かれるように扉を開け、小銭を渡すと、番台の婆さんが顔を見て言う。
「ゆかり湯であったまりな」
「ゆかり湯?」
浴場の奥に、その湯船があった。
効能は『心』の冷えに効くとある。
浸かると、湯煙が不思議に縁のある人物の像を次々に描いて現れた。
故郷の友人。喫茶店のマスター。バイトの仲間。そして、家族。
ギター片手に上京するとき、誰もが励ましてくれた。
都会で生きることに精一杯で、いつしか音符たちが僕の脳裏から離れていった。
作詞作曲に明け暮れた、あの日々。
上がる心の温度。涙が湯船に溶けていった。
扉を開け脱衣所に戻る。
「ありがとう。温もったよ」
「心が湯冷めしたら、またおいで」
銭湯を出て、見上げると月。
誰かが見守っているようで、踏み出すと、メロディーが聞こえた。
青春
公開:20/11/02 14:07
更新:20/11/09 19:52
ゆかり 温泉 銭湯

豊丸晃生( 大阪 )

ショートショートの神様、星 新一を崇拝しています。お笑い好きで怪談も好き。
お笑いネタのような作品が多いですね(笑)
【受賞作品】
「渋谷シティ」
渋谷ショートショートコンテスト優秀賞受賞。
「我が家の食卓」
ベルモニーショートショートコンテスト入賞。
「電車家族」
隕石家族ショートショートコンテスト入賞。
「大男の力自慢大会」
「スカイフィッシング」
空想競技2020ショートショートコンテストW入賞。

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