窓をあける

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「尾行されているんです」
残業帰りの住宅街。駆けこんだ交番にお巡りさんはいなかった。
私の帰宅時間には駅も交番もやっていない。加湿器と暖房がつけっ放しのうだる深夜の街に人の姿はない。きっとこの星に残されたのは私と私を尾行する何者かだけ。
机にはパトロール中の看板と警察署への直通電話がある。受話器には昼の熱が人のぬくもりみたいに残っていて、使いこまれたプラスチックと塩化ビニルのにおいが受話器ごしの会話を期待させるのに、コール音はいつまでも途切れる気配がない。
私は諦めて外に出た。歩きはじめると背後から靴音。私はそっと目を閉じる。迫る気配に瞼の裏で夜明けを感じた。
やがて書類をめくる音や社内の喧騒が蝉しぐれのように聴こえて、私はAI上司の声に驚き立ち上がる。靴音は同僚たちのクリック音だった。
私は会社で唯一の人間社員。よだれを拭って窓をあける。そうだ。窓のあいたビルには人がいるのかもしれない。
公開:20/08/26 16:29

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