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「前髪切ったの?」
「うん。最近野菜が高いから」
彼女は僕のために大切な前髪をサラダにするような優しい人だった。
あなたのためじゃない。きっと彼女はそう言うだろう。ふたりで過ごす愉しい時間のためなら前髪なんて要らないの。信じられない発想だけど彼女はいつもそうやって破格の愛情を僕にくれた。人生の一分一秒を誰よりも大切にして、そのすべてを笑いに変えようとする。そんな想いのかたまり。
彼女は鎌倉時代から続く刀鍛冶の継承者で、僕の師匠でもある。鋼に命を吹きこむように、ふたりの出会いを愛に変えた。
僕は彼女から形のない贈り物をたくさんもらったまま、唐突にやってきた別れに戸惑った。
さよならの川を渡る半身だけの自分を見送りながら、僕は彼女の最後の言葉を聞いた。
斬ったのは去年よ。
彼女の刀は斬れ味が鋭く、僕は斬られたことすら知らなかった。
長い梅雨が明けて川遊びの午後だ。はじめて胴身がずれたのは。
公開:20/08/03 13:01

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