1964年ロレックス

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 この歳になって誕生日祝いなんて、一体何がめでたいものか、と父に叱られる気がした。しかし、毎日ソファに座ったまま何をするでもなく、ただぼうっとしているだけの父を見ていると、私はこのまま放ってはおけない気がした。
「勝手に持ち出して悪かったと思ってるよ。修理屋に行って直してもらったんだけど」
 私は鈍い光沢を纏う古い腕時計を父に渡した。1964年製のロレックス。父がいつどこでそれを手に入れたのか私は知らない。ただ父が若い時分からいつも大事に身につけていたのは知っている。
「おお」
 父は小さく呻き、腕時計を手にすると自分の耳にあてがった。瞼を閉じてじっと針の音を聴く。
「この音だよ」
 瞼を開けた父の瞳に光が宿る。
 父は立ち上がると、珍しくスーツを着て帽子を被った。
「ちょっと散歩に行ってくるよ」
「ああ、いってらっしゃい」
「春雄」
「何?」
「ありがとう」
 父はにっこりと笑った。
その他
公開:20/09/01 21:42

水素カフェ( 東京 )

 

最近は小説以外にもお絵描きやゲームシナリオの執筆など創作の幅を広げており、相対的にSS投稿が遅くなっております。…スミマセン。
あれやこれやとやりたいことが多すぎて大変です…。

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