鉛筆の日記

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 「鉛筆は折るためにあります」
 その人が持ち込んだ傘の滴が水溜りを作り、それが通路へ流れ出したのに気を取られていたわたしにとって、それは全くの不意打ちでした。
「……ですか?」
 雨音は、まだ濁点はついていませんでしたが、この半個室の全周囲を覆い、声と色と温度とを次第に奪っていきます。
「幼稚園の頃、鉛筆を折る快感に目覚めましたが、大人にひどく叱られました。暴力的と。マンデリンを」
 わたしはブレンドのお替りを頼みました。
「鉛筆は何かをかくものだ、というのです」
 通路をモップが通過し、その人に傘袋が渡されました。
「失敬」
 傘は傘袋へ納まり、わたしは少しほっとしていました。
 パキッ
 六月。雨。喫茶店の午後。その全てを上書きするかのような乾いた音と湿った木の匂い。
「これがわたしの今です。差し上げます」
「あ、ありがとうございます」

 その折れた鉛筆が、今日のわたしの日記です。
その他
公開:20/06/30 11:05
宇祖田都子の話

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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