夜の噛みごこち

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私の家は茶畑の中にぽつんとある。なだらかな丘。段々畑の、快晴の、電線もなく、風見鶏と、かおる風。他にはなにも、誰もいない、たったひとりの朝。見晴らしがよくて、眼下に広がる海はどこまでも青い。それは遠く空に繋がって、誰かが映写フィルムを回すように、朝は昼を連れて、昼は夕焼けを、夕焼けは月と闇を連れて、醒めた風が今日を拭って消える。
私はひとり春に摘んだ紅茶の茶葉を揉んでいる。ゆうべは茶葉を夜風に晒しながら、屋根裏で彼がつくった麦酒を愉しんだ。
闇の中で彼は私の肩を歩く。とても小柄な醸造家。彼は一日麦酒をつくり、夜は私の鎖骨で横になる。
毎年春摘みの頃になると、彼は私の肩を優しく噛んだ。それで私の風味が増すと言う。
私が揉んだ茶葉は彼の優しさで甘く柔らかな発酵を進ませる。
やがて私の風味が茶葉になじみ、口に含む誰かが、大切な誰かを優しく噛むだろう。
紅茶は悲しみのワクチン。優しい夜に醸すもの。
公開:20/05/24 14:44

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