サイドブレーキ

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梅の花の数だけ人のうっかりが増える。そんな言い伝えが私の故郷にはある。だから私は梅の花が満開になると少し不安になってしまう。
雲ひとつない青空に凛と咲く紅梅に白梅。まだ冷たい春の風が茶漬けにのせたわさびのようにさわやかで、不安の中にわくわくが芽吹く。それは春の力。わくわくすれば散歩のはじまり。私は妻を誘って表に出た。
昼は鰻を食べる。自分でも浮かれているのがわかる。いつもは選ばない道をゆく。散歩に目的などない。
迷いも愉し春の午後。坂の途中に天神さま。境内にはたくさんの梅が今が盛りと咲いている。
私は梅に見惚れて妻のサイドブレーキを引き忘れていた。振り向けば、坂道を知らぬ男と転がってゆく妻。何が起きているのかすぐにはわからなかった。あの男は誰だ。あの妻の弾ける笑顔はなんだ。私は春の恐ろしさに動けなくなった。サイドブレーキを忘れた。そんなうっかりが人生を変える。
妻と男は坂道を加速してゆく。
公開:20/02/23 07:16

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