気体

恋人のミキは僕の空気だった。
『空気みたいな人』なんて飾った表現じゃない。文字通り彼女は空気だ。正確にはエアロ・ヒューマン（気化人）。研究中の毒ガスに侵され、身体の大部分が空気に溶けた。透過率は８９．９７％。解放空間に出せば、ものの５秒で揮散してしまう。２㎥のガラスチューブに集気し、辛うじて姿を保っている。
無色透明な檻を挟んで向かい合う、有色透明のミキ。雪花結晶の様な掌を、光繊維に似た髪を、水紅色の唇を、冷たいガラス越しに愛撫する。直接触れれば、僕もミキと混ざれるんだろうか？ミキは受け容れてくれるだろうか？確かめる勇気のないまま、今日まで来たけれど――。

ピシ。軽い軋みを発し、ガラスに蜘蛛の巣模様が広がる。防護服の特殊部隊が撃った弾丸は、背中から僕の胸を貫通し、ミキの檻に亀裂を入れた。
僕とミキは、亀裂の狭間で２．５秒の呼吸を交わし、潰れた肺胞を寝床に抱き合い、絶息と共に空中へ漂った。