雪庭(せつてい)

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室町時代は一四六七年の応仁の乱以降、京の都では長期間にわたり戦が続き、まちは焦土と化していた。
京の東山文化を育んできた連歌師や能楽師、水墨画家は、戦禍から逃れるように京の都から地方へと下って行った。
庭師の善阿弥もその一人で、落ち着いて石庭(せきてい)を作れる場所を求めて京と並ぶ古都、大和国(奈良県)へと向かった。
その冬、大和国は大雪となっていた。善阿弥は、降り積もった粉雪を白い砂に見立てた雪庭を興福寺の近くで作ることにした。
善阿弥は、昼夜を問わず一心不乱に打ち込み、神がかり的な離れ業で京の都をイメージした雪庭を作っていった。大和国の人びとは、善阿弥のその技巧に目を釘付けにされた。
そして数日後、善阿弥が作った雪庭が、戦乱の世が早く終わることを祈るかのように、雪明りで輝きながら辺り一面の銀世界を優雅に彩っていた。
この雪庭、興福寺の周りに大雪が降ると今も蜃気楼の如く現れるという。
その他
公開:20/02/09 06:45
更新:20/02/09 08:09
室町時代 応仁の乱 連歌師 能楽師 水墨画家 庭師 善阿弥 石庭 興福寺

SHUZO( 東京 )

1975年奈良県生駒市生まれ。奈良市で育つ。同志社大学経済学部卒業、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。
田丸雅智先生の作品に衝撃を受け、通勤中や休日などで創作活動に励む。
『ショートショートガーデン』で初めて自作「ネコカー」(2019年6月13日)を発表。
読んでくださった方の琴線に触れるような作品を紡ぎだすことが目標。
2022年3月26日に東京・駒場の日本近代文学館で行われた『ショートショート朗読ライブ』にて自作「寝溜め袋」「仕掛け絵本」「大輪の虹列車」が採用される。

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