紡香師（ほうこうし）伍拾伍～香色

準備期間は、飛ぶ様に過ぎた。
調香師の勉強と並行して、店の管理や仕入れ、経理、顧客情報の引継ぎや、取引先・常連さんへの顔繫ぎ。香月さんに毎日どやされながら、殺人的なスケジュールをこなした。荷物持ちに毛の生えたど素人でも、遠慮も手加減もしなかったし、ミスやつまづきに猶予をくれる事もなかった。自分で調べて、痛い目に遭って覚えた。泣き言垂れようもんなら、『だったら辞めろ』の一言だった。喧嘩も数限りなくした。大失敗をやらかし、店を叩き出された事すらある。
それでも食らい付いた。修行に必要な道具や香料、費やす金は、香月さんが全部負担してくれた。俺は本当に恵まれてる。ここで踏ん張れなきゃ男じゃない。

一発勝負の検定。
俺は調香技術師一級に通った。

合格祝いに、香月さんが着物を誂えてくれた。
「正絹の西陣紬、丁子染め焦香（こがれこう）。特注だからな、心して着ろよ」
頭を下げたら、涙が止まらなかった。