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戦争中、私が育った村では全国から悲しい目をした少女ばかりが集められて、人を楽しませるための話芸を仕込まれていた。
悲しい目をしている。ただそれだけで「御国のためにならぬ」と軍部の指示で集められた少女たちは、自らの食糧を得るために井戸を掘り、田畑を耕し、その中で話芸を学んだ。落語や講談や浪曲にはじまった教育は、泥沼化する戦争を背景に、小声や無言で伝える芸を生み出し、やがては気配だけで笑わせる芸をもった少女を輩出していった。
時折やってきた軍の幹部は、少女たちの目が何も変わっていないことを指摘して、それでどうして笑えるのかと、現場で指導する芸人を懲罰的に戦地へと連れ去った。
師匠を失った少女たちの芸はその悲しさから研ぎ澄まされて、念を送るだけで遠く離れた相手を爆笑させるまでになった。
戦後、私の村には世界中に笑いを飛ばす発射基地ができた。
「報復の笑いが怖い」
悲しい目の老婆がやさしく言った。
公開:20/01/27 09:40

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