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私は「人間」をカンバスに絵画を描き、「人間」をスクリーンに映画を撮り、「人間」を楽器に音楽を奏でる芸術家ですが、世間には催眠術師やセラピストと思われていて芸術家と認めてもらえない。それは、私の作品が「人間」であるがゆえに、美術市場に流通させられないからです。
確かに私は、製作の傍らカウンセリングのようなこともしています。ですが今回は「記憶芸術」について語りたい。
記憶とは曖昧なものです。みんな自分の記憶を、辻褄が合うように改変する。みんな自分が自分である唯一の照会元である記憶にあまりに無頓着だ。それで平気で昨日の続きを生きている。
私はそこへ芸術家として介入し、本人の記憶をコラージュして芸術作品にしてやるわけです。
本人には作品としての自覚はなく、外観ではわからないでしょうけども、幼いころ、近所に「ホダカ・ハルオミ」という人がいたという記憶をもった人がいたら、それは私の作品です。
確かに私は、製作の傍らカウンセリングのようなこともしています。ですが今回は「記憶芸術」について語りたい。
記憶とは曖昧なものです。みんな自分の記憶を、辻褄が合うように改変する。みんな自分が自分である唯一の照会元である記憶にあまりに無頓着だ。それで平気で昨日の続きを生きている。
私はそこへ芸術家として介入し、本人の記憶をコラージュして芸術作品にしてやるわけです。
本人には作品としての自覚はなく、外観ではわからないでしょうけども、幼いころ、近所に「ホダカ・ハルオミ」という人がいたという記憶をもった人がいたら、それは私の作品です。
その他
公開:20/04/03 11:34
シリーズ「の男」
星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。
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