櫻貝(一)

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「海に咲く櫻が在るそうですよ」
夫が申しましたのは、東京の開花宣言を、讀賣が報じた朝でした。借家の屋根を昨夜の雪が滑った後、六疊閒は音を掃った樣に閑かでした。
「汽車で行くのですか?」
湯呑みへ白湯を差し、私は尋ねました。夫が珍かな話をする時は、誘い文句と決まっております。
「步いて行きます」
流石に首を傾げました。東京へ遊山に出るのに、步いて幾日掛かるでしょう。白湯を一口啜ると、夫は惡戲に微笑った顏で、卓袱臺の向いから、私の眉閒を指の腹に撫ぜました。
「海濱公園へ、午後に」
眉が寬いだのは、溫まった指の所爲でなく、旅費を算用せずに濟んだから。海濱公園は目と鼻の先、徒步でも小半時の處に在りました。日頃声には上げずとも、臺所の苦しい事を、夫は無論承知なのです。
「でも、あの公園に櫻は咲きませんし、未だ……」
睨めっこで負けるのは、いつも私でした。
冷めた白湯を含む振りで、袂に頬を隱しました。
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公開:20/03/30 23:30

創樹( 富山 )

創樹(もとき)と申します。
前職は花屋。現在は葬祭系の生花事業部に勤務の傍ら、物書き(もどき)をしております。
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