箱の中

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病室の窓から見える桜が三月の雪にふるえている。
いや。ふるえているのは私だ。熱がある。肺炎だという。そんな夢だ。どんよりと白い空に重い雪が降っている。八分咲きの桜と、八度八分の私。満開がこわい。私が散りはしないかと。そんな夢。怯えている。どこかで蝉が鳴いている。ひとりきりの病室。
頭をよぎるのは子供の頃の記憶だ。夏。私は森で美しい蝉を捕まえた。森の樹々を映す湖面のように透きとおる翅。その美しさに魅せられて、私は蝉を連れ帰り、誰にも言わず、そっと靴箱に隠した。あの蝉はどうしただろう。
故郷に両親はすでになく、限界集落に棄てられた生家にあの靴箱は今もあるだろうか。私は妻に頼んで動画を撮ってもらうことにした。
廃屋は獣に荒らされている。懐かしい玄関。靴箱はあの日のまま下足入れに並んでいた。妻はその箱に手を合わせ、森の中に埋葬してくれた。
私の肺で蝉は鳴く。私は夢の中で祈る。この星の箱のすべてに。
公開:20/03/30 09:52

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