ある日、子の刻のこと

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古びた布を幾重に重ねても凍えるほど今日は寒い日だった。流行り病にかかった私を夫は必死に看病した。しかし本能的にもう、私はこの体を離れるのだと悟った。死ぬ前に海が見たいと言った。夫は反対したが、泣く泣く手を引いてくれた。
砂の感触が気持ちよく、このまま海に抱かれて漂っても良いと思った。だけど、夫は悲しむだろう。夫の手に指を絡めたとき、どこからか小鳥が飛んできた。砂を突く小鳥は、みるみる女のような魚のような絵を描き、さっと飛び立った。鳥を追って空を見上げた夫が息を飲む。それは私も同じだった。地上より高くに、赤い光の襞が見渡す限り広がっている。まるで意思を持っているかのように蠢いている。
光が小鳥の絵を照らすと、それはたちまち実体化し、海に帰った。私達はそれをただ見ていた。やがて私は、体の異変に気づいた。

あの夜のことを今でもたまに話をする。けどあの光も生き物も、二度と目にすることはなかった。
公開:20/03/26 22:12
更新:20/03/26 22:34
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綿津実

自然と暮らす。
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