いつもありがとう

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もうずっとケトルから湯を注いでいるのに、いつまでもマグカップを満たすことができない。
黒かった髪は白くなり、鏡に映る自分は花も実もない百日紅。枯山水のような私。わるくない。美しいと思う。ねぇそうでしょ。声をかけても家族の姿はなく、窓の外は知らない世界。そうだ。私は夫を亡くしたんだ。私達に子はなかった。葬儀をした。彼の骨は海に撒いた。あれからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
私は急に不安になって表に出た。私のあとを小柄な柴犬がついてくる。私が立ち止まると犬も立ち止まる。私は犬の頭を撫でた。背を撫でた。顔を覆うように愛でながら、この犬が夫だったと思い出す。
「何をぼんやりしてるんだ」
夫の声にハッとした。私はお風呂場にいて、浴槽に湯をためているところだった。
ケトルも白髪も枯山水の私も、すべては湯に映る物語。
小柄な夫が笑っている。私は嬉しくて夫の頭を撫でた。背を撫でた。顔を覆うように愛でた。
公開:20/03/13 11:27

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