月が綺麗ですね

　大切なものをなくしました。
　その感情を、私は思いやりと名付けました。
　夫婦として結ばれたのは遠い昔のことで、子供達も所帯を持って。二人暮らしの家はやたらと広く感じるのに、そのくせ夫の存在が鬱陶しく思えるのは大切なものをなくした証左に他なりません。
　あの頃のように全てが光り輝いているわけではありません。私達が生きる時間はもう余生です。太陽は沈んでいることでしょう。
　だから再度、私に言わせてほしい。
　Yours.
「死んでもいいわ」と。
　あなたに愛が残っているのなら、文豪の洒落た訳を引用したプロポーズを今一度口にしてほしいのです。年甲斐もない願いだとわかっていても、またあの頃のように寄り添いたいのです。太陽の沈んだ薄闇で、あなたの体温を感じたいのです。
　居間で新聞をめくるあなたに請うと、照れくさそうに顔に皺を寄せて言いました。
　I love you.
「月が綺麗ですね」