ケーブルカー・ラブ

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祖父は言っていた。

戦争が終わってしばらくした頃、山手線の線路を挟んだ渋谷駅前のビルとビルがケーブルで繋がれ、「ひばり号」の愛称のケーブルカーが走っていたそうだ。

実は祖父はケーブルカーを動かす機械室に勤務。しかも乗客の案内係をしていたのが祖母だったらしい。

祖父が言うには祖母は歌の上手な人で、特にケーブルカーと同じ名前の「美空ひばり」と言う人の歌が上手だったとか。

平成生まれの私には皆目想像つかぬ話だが、当時の祖母の事を話す祖父は本当に嬉しそうで、誰よりも幸せそうだった。



さよならじいちゃん。きっとばあちゃんがケーブルカーの終点で待っているよ。久しぶりにひばりさん歌ってもらうといいよ。



焼香台の前の私は数珠の手を合わせながら、正面の祖父の遺影にそっと呼びかけてみた。

途端に「もう聞いてるよォ!」と言う祖父の濁声が聞こえた気がした。






良かったと思った。
その他
公開:19/11/17 18:46

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